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ブロンテ姉妹の故郷を訪ねて

ブロンテ姉妹の故郷を訪ねて
ブロンテ・パーソネイジ
英国文学の不朽の名作『嵐が丘』作者であるエミリー・ブロンテや『ジェーン・エア』で有名な姉のシャーロット・ブロンテをはじめとする“英国一有名な”姉妹が住んだハワースをたずねました。
ブロンテ姉妹の作品のなかでも最も人気のある小説となった『嵐が丘』は、1845年にエミリー・ブロンテが男性名のエリス・べルの名義で発表した長編小説で、ヒースの原野に建つお屋敷「嵐が丘」を舞台に復讐に燃えるヒースクリフとキャサリンの愛憎劇を描いた作品です。

ブロンテ姉妹の故郷を訪ねて
ハワースの街並み
激しい風が吹き荒れる荒野に囲まれた大自然と、彼女たちの小説に描かれた復讐と愛憎のストーリーが見事に相まってゴシック要素の強い雰囲気を醸し出しているハワース。とても小さな村ですが、現在は文学ファンをはじめとする多くの観光客で賑わっています。ここにはエミリー、シャーロット、また『アグネス・グレイ』を執筆した妹のアンというブロンテ三姉妹の育った家ブロンテ・パーソネイジがあるのです。
三姉妹が家族とともに暮らしていた「ブロンテ・パーソネイジ」は、牧師だった父親とともに移り住んだ牧師館でした。この牧師館は現在ブロンテ一家の博物館となっていて、当時、一家が使用したドレスや日用品などの資料が展示されています。エミリー達が実際に着用したと言われるドレスの小さなことに驚かれるかもしれませんが、ハワースにおける当時の平均寿命は約25歳だったということで、母親や兄妹を早くに亡くしたエミリーも30歳という若さで亡くなってしまったそうです。そのことからも、栄養不良や医療不足など当時の生活の厳しさをうかがい知ることができます。「ブロンテ・パーソネイジ」の前にはエミリー達が眠るお墓が、また裏手にはブロンテ姉妹たちが小説を書くために想像力をかきたてられたというヒースが広がっています。
2010年01月08日(金) written by あっこ from (イギリス)
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