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メディチ家最後の相続人

メディチ家最後の相続人
アンナ・マリア・ルイーザの肖像画。
フィレンツェに行くと3世紀半に渡ってトスカーナを支配していたメディチ家の並外れた「富」を思いっきり堪能する事が出来ますが、現在、私たちがフィレンツェで多くの芸術品を見る事ができるのはメディチ家最後の後継者アンナ・マリア・ルイーザ・ディ・メディチのおかげである、と言っても過言ではありません。
1667年に大公コジモ3世と大公妃マルグリット・ルイーズ・ドルレアンの3人兄弟の長女としてフィレンツェのピッティ宮殿で生を受けたアンナ・マリア・ルイーザ。
(ちなみに母マルグリットはルイ14世の従妹)

メディチ家最後の相続人
フィレンツェ・ピッティ宮殿
24歳の時に結婚、子供がいないまま夫は死亡し、その後再びピッティ宮殿に戻り、1743年にそこで亡くなりますが、フィレンツェのために、300年以上に渡って権力を誇ったメディチ家が今まさに終焉しようとしているのを、彼女は黙って見過ごす事ができませんでした。
「私の亡き後、メディチ家最後の相続人として、私が引き継いだ財産は、全て新トスカーナ大公に譲ります。
ただし、これらの財産はフィレンツェ市民(国民)の宝であり、フィレンツェ及びトスカーナ大公国に利益をもたらすものでもあるから、絶対にこの地より持ち出してはなりません」という遺言を残し、亡くなります。

メディチ家最後の相続人
宮殿内の芸術品の数々
こうして現在ウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿、ローマやその他の地域に点在するメディチ家所有の別荘、バルジェッロ美術館などなどに収められている300年に渡る代々のメディチ家が蒐集してきた莫大なコレクション、ありとあらゆる美術品・工芸品が、彼女の亡き後にハプスブルグ家支配になってもフィレンツェにとどまり、こうして今もイタリア観光の目玉になっているのですね。
メディチ家最後の相続人
サン・ロレンツォ教会脇の
アンナ・マリアの像
2011年10月28日(金) written by Maliarda from (イタリア)
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