PageTopワーホリネット | ワーキングホリデーとは
202212066858

ミケランジェロのピエタ三体が一堂に!  戦争の廃墟にて開催 ミラノ

ミケランジェロのピエタ三体が一堂に!  戦争の廃墟にて開催 ミラノ
廃墟だった大広間に
浮かぶように設置された三体のピエタ。
照明がだんだん明るく・・

 ミケランジェロのピエタ三体が一堂に会して展示という、前代未聞の展覧会は、今年の春にフィレンツェであったのですが、現在ミラノに巡回中でさっそく行ってきました。来年2023年1月8日までミラノ王宮カリアティードの間で展示中です。なんと無料!そしてミラノでの展示は音楽と光を組み合わせたとても素敵なプレゼンテーションでウットリでした。
無料なのにはワケがあって、三体のピエタは19世紀末から20世紀初めに精巧に作られた石膏模型なのです。ただ三体こうして並んで展示されるのは初の試みなのだとか。ピエタというのは、キリストの磔刑の後、十字架から降ろされたキリストと、その亡骸を抱く聖母マリアをモチーフとする宗教画や彫刻のことを指しています。イタリア語で「哀れみ・慈悲」という意味です。

ミケランジェロのピエタ三体が一堂に!  戦争の廃墟にて開催 ミラノ
どんどん照明が明るくなって、
ピエタ像がはっきりと見える。

 ミケランジェロは、89年という長い生涯にこの場面を表す彫刻作品を4つ制作しました。彼は自作に署名をしなかった事で有名ですが、ローマ・ヴァチカンにある一番有名なピエタにだけはミケランジェロの署名が入っています。それだけ思い入れや自負があったのでしょうね。
その4つのピエタとは、24歳で制作したローマ・ヴァチカンのピエタ、74歳で制作したフィレンツェにある大聖堂附属博物館のバンディーニのピエタ、80歳で制作したフィレンツェのアカデミア美術館にあるパレストリーナのピエタ、そして最晩年、彼の死の数日前まで彫り続け、死ぬまで手元に置いたミラノのスフォルツェスコ城のロンダニーニのピエタの事を指します。

ミケランジェロのピエタ三体が一堂に!  戦争の廃墟にて開催 ミラノ
前代未聞!ミケランジェロの
ピエタを三体同時に鑑賞!

 ミケランジェロがローマのピエタを制作し、名声を得てから約50年も経った後、改めてピエタが彫り始められたというのは印象的。しかも70歳前後から89歳で没するまでに三体のピエタが彫られたのは、彫刻への情熱のみならず、自分自身の墓標のように感じていたからだとも言われています。そして造形に対しての追求心が晩年まで絶え間なくあったという事にも驚かされます。
もちろん、24歳の若さで力強く彫ったローマのピエタの輝く美しさは唯一無二のものですが、老年となったミケランジェロが未完のままで放置したピエタにも、しみじみと味わい深いものを感じました。フィレンツェのバンディーニのピエタは、キリストをうしろから支えるニコデモがいて、このモデルが晩年のミケランジェロ自身の自画像とも伝えられています。

ミケランジェロのピエタ三体が一堂に!  戦争の廃墟にて開催 ミラノ
戦争の爆撃で廃墟になった
カリアティードの間も必見です!

 こうして三体が一堂に会することで、ミケランジェロの若き日と老年、年代ごとの作品構成の違いや完成と未完成が、パッとひと目で比較され、若々しい作品から徐々に深化していく様が認識できます。そして未完成作だからこその宗教的な本質が感じられるようでもありました。本当に素晴らしい展示方法で大満足です。
もう一つの見どころは、この会場であるミラノ王宮は第二次世界大戦中の1943年8月、ミラノ中心部への爆撃で大打撃を受けています。その際に貴重な装飾が失われてしまい、その後も焼け残った廃墟と化した建物でした。このカリアティードの間も焼け跡や崩れた跡が生々しい姿で今も残っています。戦後1953年にピカソのあの『ゲルニカ』がこの大広間で展示され、戦争の恐ろしさを訴えた場所としても有名です。ピエタ展示場所であるカリアティードの間も一見の価値ありですので、年末年始にイタリア旅行される方は是非!


2022年12月06日(火) written by Maliarda from (イタリア)
Comment(0)


イタリア関連の記事

この記事へのご感想は以下のフォームからどうぞ

お名前 [必須入力]
コメント [必須入力]
5000文字まで。(コメントにリンクは書き込めません。)
※記事の内容に沿わないコメントはお控えください。
※質問やお問い合わせはお控えください。