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ポルティ・ペッツォーリ美術館の歴史

ポルティ・ペッツォーリ美術館の歴史
美術館の入り口。
ミラノにはCasa Museo/カーザ・ムゼオといって昔の貴族の邸宅を当時の雰囲気を残したまま美術館にしている所があり、その中でも一番有名なのは、このポルディ・ペッツォーリ美術館だと思います。
ミラノの名門貴族トリヴルツィオ家のローザと当時オーストリア政府への最大の納税者として有名だったポルディ・ペッツォーリ家のジュゼッペの息子としてジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは生を受けました。

早くに父を亡くしたジャン・ジャコモへの教育は芸術に造詣の深かった母ローザが献身的に教授し、そしてそれまでのトリヴルツィオ家所蔵の芸術品、様々な手稿、工芸品にもジャン・ジャコモは幼い頃から囲まれて暮らしていました。

ポルティ・ペッツォーリ美術館の歴史
ポルディ・ペッツォーリ肖像画
1846年24歳になったジャン・ジャコモはヨーロッパ中を旅し、あらゆる芸術を見聞し、自らも蒐集を始めるようになります。
とりわけ(当時流行していた)古い武器の蒐集に力を注ぎ、その他ルネサンスからバロックまでの、あらゆる美術工芸品を蒐集し、1849年にポルディ・ペッツォーリ家を公開します。
当時の芸術家や彼の招待客たちは「なんて素晴らしい!」と賞賛の声を惜しまなかったそうです。
そして真似をする貴族も多々現れたとか・・・
1879年ジャン・ジャコモは57年の生涯を閉じました。
その後1881年にポルディ・ペッツォーリ美術館として一般公開される事になります。

ポルティ・ペッツォーリ美術館の歴史
ボッティチェッリの美しい絵画も!
しかしこの美術館は第2次世界大戦中、連合軍によるミラノ爆撃によって天井、壁、美しい天窓、備え付けの素晴らしい調度品などが破損するという被害を被り、閉鎖の憂き目に・・・
それ以前に絵画や工芸品(持ち運びできるものは全て)は非難させておいて無事だったのが、不幸中の幸いだったのですが。
爆撃前に撮ってあった写真などを参考に、それこそ気が遠くなる修復・復元作業を続けてポルディ・ペッツォーリ美術館は1951年再びよみがえり、現在も当時の面影とジャン・ジャコモが財の限りを尽くして蒐集した美しい美術品が一緒に楽しめる美術館として一般公開されています。
ポルティ・ペッツォーリ美術館の歴史
美しい階段を上がって美術館へ
2011年03月18日(金) written by Maliarda from (イタリア)
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