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アルテミジア・ジェンティレスキ 〜 イタリアの女性画家

アルテミジア・ジェンティレスキ 〜 イタリアの女性画家
アルテミジア・ジェンティレスキの自画像
16世紀から17世紀にかけては個性的な女性の芸術家が美術史に誕生した初めての世紀で、その中でもイタリアの画家アルテミジア・ジェンティレスキは、それらの先駆者的存在ともいえます。
アルテミジアは1593年7月8日にローマで生まれました。

当時は女性が絵画の専門的知識をつける、という機会は閉ざされていて存在しなかったので、そんな状況下でアルテミジアが歩んだ道というのは想像を絶する困難が待ち受けていた事でしょう。

アルテミジア・ジェンティレスキ 〜 イタリアの女性画家
ミネルヴァ
そんな時代で、アルテミジアは幸運にも父親が画家で、その父親の工房でカラヴァッジョの影響を強く受けた父オラーツィオから手ほどきを受け、色々な技術を身につけていきました。
オラーツィオには息子も二人いたようですが、娘アルテミジアがおそらく一番腕が良く、才能があったと思われます。
父はかなり娘に熱心に指導したようです。

アルテミジアは18歳頃に風景画家のアゴスティーノ・タッシと共同制作者として働いていましたが、1612年2月、父オラーツィオは法廷に訴え出ます。
訴状は「アゴスティーノが娘アルテミジアを、おそらく1年前ぐらいから、何度も暴行した」罪でした。

アルテミジア・ジェンティレスキ 〜 イタリアの女性画家
ボロフェルネスの首を斬るユーディット
裁判は長引き、結局「だらしない女」と言われたアルテミジア。
その後結婚したようですが、その結婚生活も長く続かなかったようです。
しかしアルテミジアはその辛さを乗り切り、有り余る才能を使ってどんどん作品を発表していくのです。
特に民族を救ったダヴィデと同じ働きをしたユーディットの絵を繰り返し繰り返し描いています。
このユーディットに自分を重ね、ホロフェルネスの首を斬る、それはアルテミジアの辛かった心情を表しているとも言われていて、カラヴァッジョなどが描いたユーディットよりも迫力満点なのです。

アルテミジア・ジェンティレスキの展覧会は来年1月29日までミラノ王宮パラッツォ・レアーレで開催中です。
もしミラノに来られる際には足を運んでみてはいかがでしょうか。
2011年12月09日(金) written by Maliarda from (イタリア)
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