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ヴェネツィアン・ガラスの博物館  中世から継承されるイタリアの技法

ヴェネツィアン・ガラスの博物館  中世から継承されるイタリアの技法
少しずつ複雑なフォルムに
なっていく過程が興味深い。

 年始は久しぶりにヴェネツィアのガラスで有名なムラーノ島へ行ったので、そこの素晴らしいガラス博物館をご紹介します。

博物館の建物は、もともと貴族の邸宅として誕生しました。18世紀に建築家アントニオ・ガスパリによって根本的に改装され、内部も美しいフレスコ画などで装飾されました。1
840年にヴェネツィア・ムラーノ市に売却され、その後、現在に至るガラス博物館として開館しました。

博物館内部の展示は年代順になっていますので、時代の流れがよくわかり、ガラスがどのように発展していったのかがわかるようになっています。



ヴェネツィアン・ガラスの博物館  中世から継承されるイタリアの技法
各部屋のガラスの
シャンデリアも美しい。

 まず、古代ローマ時代のガラス製品展示から始まり、14世紀から現在までに制作された作品を通じて、ムラーノのヴェネツィアン・ガラスの700年の歴史が展開されています。部屋の内装、そして各部屋の美しいシャンデリアなども含めて、もう圧巻でした!

やはり興味深いのは、中世からルネッサンス時代にかけてのガラス芸術です。中世の頃に洗練されたガラスで有名だった中東との交流によって、ヴェネツィアン・ガラスもまた洗練されていったのです。当時のヴェネツィアのガラス職人たちは中東のガラス細工を真似し、その地域から原材料の一部を輸入してガラスを作っていたそうです。



ヴェネツィアン・ガラスの博物館  中世から継承されるイタリアの技法
博物館の目玉
15世紀の結婚式用カップ。

 14 世紀には、ヴェネツィアのガラス生産は順調に進み、少しずつ複雑な形のガラス細工を生み出していきます。ルネサンス期の15世紀、ヴェネツィアはガラス芸術において中東を抜き、リーダーシップを取るようになりました。
転換期は、ムラーノ島出身のアンジェロ・バロヴィエ(1405-1460)によるクリスタルの発明です。その透明感と多色エナメルと金で装飾されたパロヴィエのガラスは、ローマ教皇さえも要求するほどでした。


博物館の目玉はこれ、1470年頃に遡る有名な「青いバロヴィエ・カップ」です。ヴェネツィア共和国から製造の独占的権利を与えられていたアンジェロ・バロヴィエが作った結婚式用カップですが、色もデザインも模様も本当に素晴らしかったです。


ヴェネツィアン・ガラスの博物館  中世から継承されるイタリアの技法
19世紀にはまったく
新しいデザインと色が生まれた。

 16世紀には、さらに複雑なフォルムのガラスが作られました。マノヴォランテとよばれるこの技法は、ムラーノ島の職人たちが今日でも続けている技法の一つで、他の追随を許さないのだとか。
そして17世紀は、ムラーノ島のガラス職人たちが離散した世紀でもありました。1630年のペストの流行と、その後の深刻な経済危機です。

そこからガラス生産の危機が始まったそうですが、現代、再びヴェネツィアはガラス職人にとっての「王国」であり、世界中からヴェネツィアン・ガラスを求めてムラーノ島へやってくる人は跡を絶ちません。

そんなヴェネツィア、ムラーノ島の歴史も垣間見れる素晴らしい博物館でした。



2025年01月28日(火) written by Maliarda from (イタリア)
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