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フェラーラと画家ボルディー

フェラーラと画家ボルディー
エステ家の居城。
 去年の秋からずっと見に行きたかったフェラーラで開催の「ジョヴァンニ・ボルディーニ」展。念願叶って、年明け早々ミラノから約3時間の中世の都市フェラーラまで出かけてきました。
フェラーラといえば、ルネサンス期のイザベラ・デステ・マントヴァ侯爵夫人、そしてエステ家居城などが有名で、あのルクレツィア・ボルジアもエステ家に嫁いでいます。

しかし今回の目的は、時代が下った19世紀の画家ボルディーニの展覧会。向かった先は15世紀後半に建てられたディアマンティ宮殿、なんとダイヤモンド宮殿という意味です。

フェラーラと画家ボルディー
白い建物がディアマンティ宮殿
ジョヴァンニ・ボルディーニは1842年フェラーラの生まれ。
父親のアントニオ・ボルディーニも画家であり、子供の頃から絵画に親しんでいたそうです。
16歳の頃にはすでに画家として自立しようと考えていてそのためにはフェラーラはあまりに田舎であったのでフィレンツェへ行く事を決めます。
フィレンツェ移住の後、色々な芸術家たちとの交流を経て1870年ロンドンへ向かいました。そこで肖像画家としての地位を確立し「写実主義」の基盤を築いたと言われます。
ありのままに当時の様子や人々の服装、アクセサリーなど、その人物の地位を表す重要な要素を丹念に描き、かつ彼の作風「優美さ」を表現したのも成功の一つであったと私は思っています。

フェラーラと画家ボルディー
展覧会のポスター
1871年からは拠点をパリへ移しました。
ベル・エポックとよばれる、当時の華やかなパリでも彼の作品は高い評価を得て、様々な肖像画を手がける。パリではドガ、ロートレック、マネなどとも交流があり、特にドガとは一緒に旅行へ行ったりと一番親交が厚かったらしいです。
ボルディーニはパリの社交界でも人気で彼に肖像画を描いてもらいたいために上流階級の紳士・淑女の注文が殺到!でも画風を見れば納得ですね。

風景画も何点かありましたが、彼の作品はやっぱり肖像画が一番素晴らしいと思いました。なにより美しく優雅な当時の上流階級の人々、特に女性が美しい!
フェラーラと画家ボルディー
美しい貴婦人の肖像画
彼女たちのドレスの、高価な絹の質感まで伝わってきそうで、そのしなやかな指先の動き、凛とした口元、上品な顔立ち・・・絵を見るだけで良い香りまで漂ってきそうな気配。そしてパリの「ベル・エポック」が、本当に「美しき良き時代」だったと思わせるエレガントな作品にうっとりしつつ、フェラーラまで足をのばして本当に良かった・・・他の観光はできなかったけど・・・
第一次大戦が勃発し、ベル・エポックが終焉したパリを後にボルディーニはニースへ移住。画家活動を続け、終戦後パリへ戻って制作を開始しますが1931年、パリで永眠。89歳でした。今は生まれ故郷のフェラーラで、両親と共に埋葬されています。
2010年01月08日(金) written by Maliarda from (イタリア)
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