レオナルド.ダ.ヴィンチのブドウ畑 ミラノ<br> | ワーキングホリデー通信
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レオナルド.ダ.ヴィンチのブドウ畑 ミラノ


【写真:最後の晩餐がある
教会の屋根が見えるブドウ畑.】

ミラノで一番有名な絵画と言っても過言ではないレオナルド.ダ.ヴィンチの『最後の晩餐』.その壁画があるサンタ.マリア.デッレ.グラツィエ教会の向かいにあるルネサンス様式の建物がアテッラーニ邸で,なんとその庭にレオナルド.ダ.ヴィンチ縁のブドウ畑があることが判明!

その後残された史料から精密に分析.検証して500年前の畑を蘇らせ,2015年のミラノ万博を機に一般公開に踏み切りました.『最後の晩餐』に比べると知名度はまだまだ低いですが,少しずつ訪問者が増えてきた矢先のこのコロナ禍…休業を余儀なくされましたが,数日前にロックダウンが解除され,再オープンという形になりました.



【写真:レオナルドのブドウ畑.】

レオナルド.ダ.ヴィンチは,1482年にイル.モーロの別名で呼ばれるルドヴィーコ.マリア.スフォルツァ公が支配するミラノにフィレンツェから到着しました.画家としてだけではなく,軍事技師,宮廷の様々な行事の運営なども任されていたようです.

1495年,イル.モーロはサンタ.マリア.デッレ.グラツィエ教会の食堂の壁に『最後の晩餐』をレオナルドに依頼. その報酬として1498年にレオナルドにこのアテッラーニ邸のブドウ畑の所有権を与えました.



【写真:ルネサンス様式の美しい回廊.】

レオナルドの時代,このアテッラーニ邸にはスフォルツァ家と縁が深かったアテッラーニ兄弟が住んでおり,当時の音楽家や詩人たちが多く出入りし,レオナルドもこの上流社会のサロンに参加していたようです.そうした縁もあって,イル.モーロからブドウ畑を贈与され,ワインの管理なども任されていたのでしょうね.トスカーナ出身のレオナルドのことですから,畑の管理やワイン製造にも心血を注いでいたことでしょう.

しかし1500年4月,フランス国王の軍隊がミラノに侵攻,イル.モーロを投獄.レオナルドも危険を感じてミラノを去りました.その際に彼のお気に入りの弟子であるジャン.ジャコモ.カプロッティの父親にブドウ畑を託します.レオナルドは1519年に亡くなりましたが,遺言でそのブドウ畑をジャン.ジャコモ.カプロッティに与えると書いています.



【写真:アテッラーニ邸の内部の
フレスコ画.】

その後,忘れ去られていたレオナルドのブドウ畑.500年を経てまた同じ場所,同じ方法でワインを造ることになったワケです.

ブドウ畑とアテッラーニ邸への訪問は人数制限がありますので要注意.オーディオガイドはなんと 10ヵ国語(日本語もあり)に対応しています.

https://www.vignadileonardo.com/it/home



2021/05/18(火) Maliarda
No.6720 (イタリア)

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