
日本では最近,闘病の末に胆管癌で亡くなられた女優の方や,乳癌を患い乳房切除手術を受けた女性タレントの方のニュースが相次ぎ,他人事ではない『癌』について,改めて考えさせられた方が多いのではないでしょうか.私もその一人なのですが,カナダに住んでいると,毎年9月10月に"ある人"の名のもとに『癌』について考える機会が訪れます.その"ある人"とは「テリー.フォックス」.34年前『転移性骨肉種』により,22歳の若さで亡くなったカナダ人青年です.

「テリー.フォックス」はカナダに住んでいれば(乳幼児以外は)知らない人はいない"カナダの偉人"であり"ヒーロー".毎年9月レイバー.デーから2週間後の日曜日に癌研究資金を募るチャリティー.マラソン.イベント「テリー.フォックス.ラン」が開催されるのですが,彼はその基となった人物です.テリー.フォックスは1958年7月28日マニトバ州ウィニペグで生まれ,ブリティッシュ.コロンビア州ポート.コキットラムで育ちました.体育教師を目指して地元サイモン.フレイザー大学に進学し,バスケット.ボール部で活躍していた1977年,彼が19歳の時,突然,右ひざに痛みを覚え検査を受ける事に.検査結果は"骨の癌"である『骨肉種』でした.その為,彼は右ひざ上から下を切断.その治療入院中に出会った多くの癌患者の人々(中には子供が多く含まれていた)の「生きる事への希望と努力」を目の当たりにした彼は,右足切断から約2年後の1980年,癌研究資金を募る為の一大プロジェクトを開始します.それは「義足でカナダ横断マラソンをしながら募金を募る」という,とてつもないものでした.

スタート地点はカナダ最東端ニューファウンド.ランド.ラブラドール州セント.ジョンズで,ゴール予定地はカナダ最西端のブリティッシュ.コロンビア州ポート.レンフリュー.全走行距離は約8000キロ.彼はこのマラソンを『希望のマラソン(Marathon of Hope)』と名付け,1980年4月12日から義足をつけた状態でフルマラソンと同じ42キロを,雨の日も風の日も,灼熱の日も毎日走り続けました.最初は寂しいスタートでしたが,メディアが彼を取り上げるようになり,沿道には徐々に彼を応援する人々が集まり始め,行く先々で歓迎を受けるようになったテリー.しかし希望のマラソン開始から約5ヵ月後の1980年9月1日,オンタリオ州サンダーベイで胸の痛みを訴え検査したところ,癌が肺に転移している事が判明.挑戦開始から143日目,5373キロを走破した時点で,彼は挑戦を諦めざるを得なくなってしまいました.当初の彼の募金目標金額は100万ドル(約1億円)でしたが,挑戦を諦めざるを得なくなった時点で,既に170万ドルもの募金が集まっていました.そして翌年の1981年6月28日,ブリティッシュ.コロンビア州ニューウェスト.ミンスターの病院で,テリー.フォックスは家族に見守られながら22年の生涯を閉じました.
![]() 【写真:2005年,彼の姿が1ドル記念硬貨に】 |
彼が亡くなった時はカナダ中が悲しみに沈み,カナダ政府は全国に向け彼の死に対して哀悼の意を表す「半旗」を掲げるよう異例の声明を出しました.そして彼の死と同年の1981年9月から癌研究資金の調達を目的としたチャリティーマラソン.イベント「テリー.フォックス.ラン」がスタート.彼の遺志からスタートしたこのイベントは今年で34回目となり,2015年現在,世界60ヶ国で開催されています.カナダの学校では10月頃に各校で「テリー.フォックス.ラン」を開催し,全校生徒が参加して寄付をします.子供達は幼稚園で改めてテリー.フォックスの事を授業で聞き,希望を持つ事,諦めない事をテリーの話を通して学びます.そして彼の遺志は『テリー.フォックス基金』という形になり,今現在も癌撲滅を目指すための癌研究資金となっています.死後34年経った今も,彼の遺志は次の世代の子供達に脈々と受け継がれ,癌研究の躍進に繋がっています.