PageTopワーホリネット | ワーキングホリデーとは
201510065884

癌患者の人々に“希望”を 「テリー・フォックス・ラン」 〜 カナダワーキングホリデー

 日本では最近、闘病の末に胆管癌で亡くなられた女優の方や、乳癌を患い乳房切除手術を受けた女性タレントの方のニュースが相次ぎ、他人事ではない『癌』について、改めて考えさせられた方が多いのではないでしょうか。私もその一人なのですが、カナダに住んでいると、毎年9月10月に“ある人”の名のもとに『癌』について考える機会が訪れます。その“ある人”とは「テリー・フォックス」。34年前『転移性骨肉種』により、22歳の若さで亡くなったカナダ人青年です。

 「テリー・フォックス」はカナダに住んでいれば(乳幼児以外は)知らない人はいない“カナダの偉人”であり“ヒーロー”。毎年9月レイバー・デーから2週間後の日曜日に癌研究資金を募るチャリティー・マラソン・イベント「テリー・フォックス・ラン」が開催されるのですが、彼はその基となった人物です。テリー・フォックスは1958年7月28日マニトバ州ウィニペグで生まれ、ブリティッシュ・コロンビア州ポート・コキットラムで育ちました。体育教師を目指して地元サイモン・フレイザー大学に進学し、バスケット・ボール部で活躍していた1977年、彼が19歳の時、突然、右ひざに痛みを覚え検査を受ける事に。検査結果は“骨の癌”である『骨肉種』でした。その為、彼は右ひざ上から下を切断。その治療入院中に出会った多くの癌患者の人々(中には子供が多く含まれていた)の「生きる事への希望と努力」を目の当たりにした彼は、右足切断から約2年後の1980年、癌研究資金を募る為の一大プロジェクトを開始します。それは「義足でカナダ横断マラソンをしながら募金を募る」という、とてつもないものでした。


 スタート地点はカナダ最東端ニューファウンド・ランド・ラブラドール州セント・ジョンズで、ゴール予定地はカナダ最西端のブリティッシュ・コロンビア州ポート・レンフリュー。全走行距離は約8000キロ。彼はこのマラソンを『希望のマラソン(Marathon of Hope)』と名付け、1980年4月12日から義足をつけた状態でフルマラソンと同じ42キロを、雨の日も風の日も、灼熱の日も毎日走り続けました。最初は寂しいスタートでしたが、メディアが彼を取り上げるようになり、沿道には徐々に彼を応援する人々が集まり始め、行く先々で歓迎を受けるようになったテリー。しかし希望のマラソン開始から約5ヵ月後の1980年9月1日、オンタリオ州サンダーベイで胸の痛みを訴え検査したところ、癌が肺に転移している事が判明。挑戦開始から143日目、5373キロを走破した時点で、彼は挑戦を諦めざるを得なくなってしまいました。当初の彼の募金目標金額は100万ドル(約1億円)でしたが、挑戦を諦めざるを得なくなった時点で、既に170万ドルもの募金が集まっていました。そして翌年の1981年6月28日、ブリティッシュ・コロンビア州ニューウェスト・ミンスターの病院で、テリー・フォックスは家族に見守られながら22年の生涯を閉じました。

癌患者の人々に“希望”を 「テリー・フォックス・ラン」 〜 カナダワーキングホリデー 4 ワーキングホリデー通信
2005年、彼の姿が1ドル記念硬貨に

 彼が亡くなった時はカナダ中が悲しみに沈み、カナダ政府は全国に向け彼の死に対して哀悼の意を表す「半旗」を掲げるよう異例の声明を出しました。そして彼の死と同年の1981年9月から癌研究資金の調達を目的としたチャリティーマラソン・イベント「テリー・フォックス・ラン」がスタート。彼の遺志からスタートしたこのイベントは今年で34回目となり、2015年現在、世界60ヶ国で開催されています。カナダの学校では10月頃に各校で「テリー・フォックス・ラン」を開催し、全校生徒が参加して寄付をします。子供達は幼稚園で改めてテリー・フォックスの事を授業で聞き、希望を持つ事、諦めない事をテリーの話を通して学びます。そして彼の遺志は『テリー・フォックス基金』という形になり、今現在も癌撲滅を目指すための癌研究資金となっています。死後34年経った今も、彼の遺志は次の世代の子供達に脈々と受け継がれ、癌研究の躍進に繋がっています。

2015年10月06日(火) written by Saori from (カナダ)
Comment(0)


カナダ関連の記事

この記事へのご感想は以下のフォームからどうぞ

お名前 [必須入力]
コメント [必須入力]
5000文字まで。(コメントにリンクは書き込めません。)
※記事の内容に沿わないコメントはお控えください。
※質問やお問い合わせはお控えください。


[ PR ]