PageTopワーホリネット | ワーキングホリデーとは
201203064349

クライストチャーチ地震から1年たった今

クライストチャーチ地震から1年たった今
三角コーンに飾られた花
 たくさんの犠牲者を出したクライストチャーチを襲った大きな地震から早一年を迎えました。この1年、クライストチャーチでの話題は地震関連のことで持ちきりでした。今回はちょうど1年たった2月22日に行われた式典およびそれに関連することをお伝えいたします。
まず本震といわれているものは2010年9月3日に襲ったM7.2の地震なのですが、本当に幸いにもこの時に早朝の週末に起こった地震のため犠牲者が出ることがなかったのであまり大きくは取り上げられません。そして、その後の12月26日に起こった大きな余震もありましたが、これも犠牲者が出ませんでした。そしてその後の2月22日。日本人の方もたくさん通っていた英語学校が入っているビルの崩壊のため、たくさんの日本人の方を始め外国人の方も犠牲になりました。John Key首相もこの2月22に日はNZ歴史の中で「the Darkest Day」になるだろうと明言しています。それほどにショッキングな出来事でした。

その2月22日。クライストチャーチにあるハグレーパークでは、大きな式典が行われました。華やかさはないものの、日本と違い、ブラスバンドの演奏や子供による歌の披露、暗い感じはなく、この日を忘れず前に進んでいこうというみんなの思いが伝わってくるものでした。そして、12時51分には2分にわたる黙祷。この時間はNZ内にある学校や職場でも黙祷が行われたそうです。

さて、この日クライストチャーチ市内にある三角のコーン(工事現場などでよく見られるもの)にはあるものが飾られました。それはお花です。この日に犠牲者の追悼をということで、三角コーンに花を飾ろうとどこからともなく意見が出てきてコーンというコーンに花が飾られていました。ちなみに、クライストチャーチではいたるところで修復作業が行われているため数えきれないほどのコーンを見ることができますが、この数え切れないコーンにほとんど言うほど花が飾られていました。これもクライストチャーチのみんなの心が表れていました。

さらに先週は、一つ悲しいニュースが。クライストチャーチのシンボルだった大聖堂の取り壊しが正式に決まりました。取り壊しではなく、修復をという市民の強い意見がありましたが、これまでの余震での崩れ方、そしてこれからも起こるであろう余震と取り壊しによる揺れなどでさらに解体する恐れもあり、安全な場所という保証はない、そしてエコノミカルな修復費用ではないことから取り壊しになりました。悲しい現実ですね。

1年たった今ですが、地震関連の事に関してまだまだ議題は山積みです。これからさらに解体作業および復興作業が続きます。再起まではさらに10年はかかるだろうと言われていますが、一つ一つやることが最善の方法。みんな一丸となって頑張っていきます!
2012年03月06日(火) written by lovey from (ニュージーランド)
Comment(0)


ニュージーランド関連の記事

この記事へのご感想は以下のフォームからどうぞ

お名前 [必須入力]
コメント [必須入力]
5000文字まで。(コメントにリンクは書き込めません。)
※記事の内容に沿わないコメントはお控えください。
※質問やお問い合わせはお控えください。