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最後の晩餐について 〜 イタリア旅行

最後の晩餐について 〜 イタリア旅行
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
イタリアは世界遺産の登録数が一番多い事でも知られていますが、その中でも有名なものはやはりミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でしょう。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は美しいゴシック様式の聖堂を備え、1469年に完成した教会ですが、その先端アプス部分は1492年以降にブラマンテによって改築されました。
そしてその隣に位置するドメニコ会修道院の食堂の壁に描かれたのが1498年に完成したダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。
ダ・ヴィンチはこれを描くのに約3年の月日を要しましたが、常に筆運びが遅かった彼にしては急ピッチで仕上げられた作品のようです。

最後の晩餐について 〜 イタリア旅行
美しい中庭のある教会内部
アプス部分
縦4m20cm、横9m10cmの巨大な壁画で、当時天井画や壁画を描く際には「フレスコ画法」を用いるのが常でしたが、ダ・ヴィンチはなんと「テンペラ画」の技法でこれを描きました。
しかし誤算があります。
テンペラ画というのは温度や湿度の変化に弱いため、壁画には向いていないのです。
そのため、制作途中から絵画が「損傷」するというハプニングが!しかしダ・ヴィンチ存命中から損傷が激しかった壁画も、こうして500年以上経った現在でも残っているので「奇跡の絵画」とも呼ばれています。
この「最後の晩餐」には様々な「謎」があるという事でも話題になっていますが、有力と思われるエピソードはこれがミラノの時の権力者スフォルツァ家の「支配の記録」という事です。

最後の晩餐について 〜 イタリア旅行
最後の晩餐
スフォルツァ家の紋章が見える
ダ・ヴィンチはキリストの使徒たちを3人ずつ4つのグループに分けて描きました。
これは「最後の晩餐」のその場の劇的な状況を強調するだけではなく、この絵のある場所と関連しているといわれているのです。
食堂の壁の上部に3つのスファルツァ家の紋章の入ったリュネット(アーチ形の装飾)があり、その下に使徒たちのグループは配置されていますが、両端の二つのグループは二つの小さいアーチの下に、真ん中の二つのグループとキリストは中央のアーチの下に位置しています。
中央のリュネットにはルドヴィコ・スフォルツァとその妻ベトリーチェ・デステの紋章が、向かって左にはルドヴィコの長男マッシミリアーノ・スフォルツァの紋章、向かって右にはもう一人の息子フランチェスコ・スフォルツァの紋章が描かれているのです。
つまりこの壁画の依頼主であったミラノ領主ルドヴィコ・スフォルツァとその家族の「権力の象徴」でもあるとの見方もあり、ますます
様々なエピソードで想像力は膨らんでいくのです。
2010年08月06日(金) written by Maliarda from (イタリア)
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