PageTopワーホリネット | ワーキングホリデーとは
201007063423

日本植民地時代が垣間見える都市−木浦市

日本植民地時代が垣間見える都市−木浦市
木浦の夜景です。
ワールドカップが終わり、韓国も日本も梅雨のじめじめした時期に入りました。今回は、ちょっと韓国の田舎の木浦のお話をしたいと思います。木浦は、あまり知られてなく、情報量が少ないので、今回話題に取り上げてみました。
私が、木浦に行くきっかけとなったのは、夫(韓国人)のご先祖様のお墓参りでした。今回は、ソウルから、車で行ったのですが、だいたい5時間位かかります。最近は、KTXも出てるので、時間がかかるのは、いやだという人は、KTXで行くのもいいと思います。

日本植民地時代が垣間見える都市−木浦市
これは、エイの開き。
かなり、びっくりします。
元々、全羅南道は、芸人達も真似をしたくなる程、方言が強い地方です。方言も強いので、最初は怒ってるようにも聞こえたりもします。方言でつながりで思い出しましたが、全羅道と慶尚道は、政治でも対立する位仲が悪いという噂です。
木浦は、元々港町なので、魚も美味しく、『おかずが韓国一多い町』『全羅南道のお嫁さんは、料理上手』と言われる位、ごはんがおいしいと有名な都市です。キムチは、それぞれの家によっても異なりますが、全羅南道のキムチは、小エビの塩辛をたくさん入れ、こくがあるキムチとしても広く知られています。

日本植民地時代が垣間見える都市−木浦市
木浦のごはん。
とってもおいしかったです。
少し、個人的な話になるのですが、夫の父と母は、木浦と海南(木浦から少し離れた島)が故郷です。その義父母は、よく話をしてくれる話題の一つに、義父母が新婚時代住んでいた家があります。いつも、写真を見せて、話をしてくれるのですが、日本の30年位前の家とそっくりだなぁ〜と思ってみていた所、日本の植民地時代に建てられた家を義父母が住んでいて、最近立てられるアパートでは、あんまり見られないトイレとバスがセパレートの日本式に住んでいたそうです。また、義母の姉2人も、在日の方と結婚し、日本で暮らしていましたし、義父の妹さんの名前は、日本名の純子さんです。
日本植民地時代が垣間見える都市−木浦市
新年の儒達山の夜明けです。
おばあちゃん世代には、こんな日本的な名前もよく聞きますが、50歳くらいで、日本的な名前を見ると、かなりまだ、植民地時代の名残があるような気がしました。
最近では、新しく観光名所も作っているみたいでしたが、観光という名所は、ユダルサン(儒達山)だけですが、最近、ソウルも特に韓国らしいというものがなくなってきたので、『なつかしいと思える韓国』を探しに行きたい方、そして、美味しいご飯を食べたい方に、木浦をお薦めします。

2010年07月06日(火) written by マルコ from (韓国)
Comment(0)


韓国関連の記事

この記事へのご感想は以下のフォームからどうぞ

お名前 [必須入力]
コメント [必須入力]
5000文字まで。(コメントにリンクは書き込めません。)
※記事の内容に沿わないコメントはお控えください。
※質問やお問い合わせはお控えください。